2019.10.14
かつて、私は会社員時代に米国企業の在日支社の総務部で、オフィスの移転を計画から実行まで担当したことがあります。個々の人間の価値観が関わって来る仕事で、色々苦労はありましたが、約半年で計画案を纏め上げ日本支社長の決済をもらいました。そして、最後に移転先候補の事務所の賃貸借契約書を、法律文書専門の翻訳家に英訳してもらい、移転プロジェクト正式承認申請書に添付して本社に送りました。すると本社のGeneral Counsel (企業内弁護士)が「日本支社の新事務所リース契約書の契約条項を審査したが、そこには貸し手の権利と借り手の義務だけが書かれており、このような一方的な契約条項は認められない。」と言ってきました。こちらは初めての経験だったものですから、大慌てで日本支社の法律顧問の先生(弁護士)の所へ駆け込みました。 すると先生が「我が国では、借り手の権利は個別の法律の強行規定で保護されており、契約書にいちいち謳う必要がない。よってこの契約書は妥当で何ら法的なリスクはない。」という意味の意見書を英語で書いて下さったので、それを本社に送り、あちらの弁護士を黙らせることができました。のちに国際法務の経験を積むにつれ、この小さな出来事が、実は日米の法体系と法の文化の違いを象徴する重要な意味をもっていたことに気付きました。つまり慣習法・不文法主義を採るあちらの国では、決まりごとや双方の権利・義務はすべて契約書に書き込んでおかないと、後日意見の相違が生じたときに、自分達の立場を主張することが困難であり、それが事実上、国際スタンダードになっているため、日本のルールを知らない米国本社の弁護士は、日本スタイルの契約書に当初NGを突きつけたというわけです。